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北海道大学大学院工学研究科 「都市地域デザイン学研究室」の学生によるブログです。

2024.03.28
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2011.11.13
札幌も来週からいよいよ初雪が降るという観測予報が出され、一段と寒さが増してきました。

今回は、ご報告が遅くなっておりましたが、10月19日(水)に行われました『恵庭市黄金地域交流センター現場見学会』についてご報告させて頂きます。

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この見学会は、正式名称"木造公共施設等整備構造見学会"ということで、低層公共建築物における木材利用促進に向けた取り組みの一環として行われました。

見学会当日は、恵庭市様より施設の概要説明がされた後、参加者全員で骨組みの出来上がってきた建物内部を見学させて頂きました。

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[写真:概要説明風景]

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[写真:学童クラブ室よりエントランスホールを望む]

また、説明の中で、建物に使われています"道産カラマツ集成材"による断熱スクリーンやホームコネクターといった木造建築を建てる際の技術的な説明も行われ、大変勉強になる見学会でした。

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今回は建物の骨組みのみの見学でしたが、完成した建物内部がどのような空間になって行くのか、今からとても楽しみです。

修士1年 松田
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2011.11.11
13条門のイチョウ並木も見頃を終え、北大はすっかり冬らしくなってきました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。

さて、ご報告が遅れましたが10月11日夕張市で策定中の
「まちづくりマスタ−プラン」(都市計画マスタ−プラン)の公開討論会に
瀬戸口先生、修士1年長尾、学部4年岡部が参加してきました。

まず、昨年から研究室で地域に入って調査等を行ってきた成果を基に
策定委員会委員長の瀬戸口先生から講演がありました。
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そして今まで策定委員会の中で議論してきた夕張市の将来像を
市民の皆様と議論してきました。

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当日は多くの市民の皆様が参加してくださり、
白熱した議論になりました。


公開討論会の後は、鈴木直道市長を始め
策定委員会のメンバーで懇親会を行いました。

夕張市の将来や都市計画について、お酒を飲みながら遅くまで語らせて頂き、
大変勉強になることばかりでした。

こうして地域の中に入っていきながら計画作りに参加することができるのは
4講の大きな特徴だと思いますし、本当に楽しいです。
研究室にこもったり、本を読むことの何倍も学ばせていただくことがあります。


策定委員会も残り数回となりました。
研究や委員会を通して最初から参加してきたマスタ−プラン、
計画がどのようなものになるのか、今から本当に楽しみです。


修士1年 長尾美幸

2011.07.25
前回の更新に引き続き、東日本大地震被災地の都市移転・集約に関する調査
の7月1日以降の日程についてご報告致します。

日程
7月1日(金)岩手県庁の方と意見交換会、奥尻大津波復興計画についての発表
7月2日(土)気仙沼市、石巻市、南三陸町
7月3日(日)仙台市名取地区

7月1日(金)は、午前中に、岩手県庁に訪問し、意見交換会を行いました。
内容としては、岩手県各市町村の復興スケジュール及び現状を報告していただいた後、
復興に向けた各市町村の合意形成に関する話や、計画を進める上での建築制限をどのように制限していくか、国の具体的の方針が決まらない中で、県としてはどのように計画を進めていくべきかなど多岐にわたる内容の意見交換を行いました。私たち学生は、後ろでお話しを聞くことしかできませんでしたが、大変貴重なお話しを聞かせていただきました。

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午後からは、復興まちづくりセミナーと題して、岩手県の各市町村の復興に携わっている方々が参加する勉強会が行われました。
講演として、まず、瀬戸口先生より
「北海道南西沖地震で被災した奥尻町の復興計画とその後の状況」
の講演があり、また当時、奥尻町の復興計画で計画の指揮を執られた紺野様より
「北海道南西沖地震・奥尻町青苗地区災害復興計画と初期対応について」
の講演が行われた後、各市町村の方々と意見交換会が行われました。

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7月2日(土)は気仙沼市、南三陸町、石巻市を視察しました。
まずは、気仙沼市を視察しました。
気仙沼市といえば、特定3種漁港にも指定されている、国内でも有数の漁獲高を誇る漁港ですが、倉庫が建ち並んでいたと思われるエリアは見渡す限り瓦礫で、辺りは大規模に水没していました。
港の巨大なコンクリートの塊が柱から落ちている様子や、真っ黒に漕げた舟が衝撃的でした。

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そういった状況の中でも、地元の商店では復興に向けて、
商店の営業を再開している様子も見られました。

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次に南三陸町に向かいました。
街の中心部の病院やスーパー、官庁関連の建物以外は建物の基礎だけを残す光景が広がっており、まだ、瓦礫処理の状況も目立って、進んでいない状況でした。巨大な防潮堤が破壊されている様子は印象的でした。
JRが走っていた場所もレールが津波流され、地図と照らし合わせながらで、やっと線路が走っていた場所を確認できる状態でした。
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建物の中を整理していた、住民の方にお話しを伺ったところ、その方は、当日は、地震後、「これは津波が来る」と思いすぐ高台にある学校に非難したため助かったとのことでした。
海岸近くに住む人達は、普段からそういった意識は習慣づいているため、助かった人が多く、今回被害に遭われた方は、むしろ、内陸の方が多かったそうです。

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 お話しを伺った人の職場


次に、石巻市に向かいました。
石巻市は、人口約16万人の街ですが、市街地の46パーセントが水没するといった、今回視察した中でも、もっとも被害があったところです。市街地では、火災の後が多く見られ、焦げ臭い匂いが漂い、また、所々では、地盤沈下が顕著に見られました。
写真は、高台から見た石巻の海側の市街地の写真と火災にあった小学校です。
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この日はここで、日没を迎え、仙台市内へと移動しました。

7月3日は、宮城県名取市を視察しました。
名取市は仙台市から、車で20~30分ぐらいのところにある市です。
中心部から海に向かって車を走らせていると、水田や畑に瓦礫が散乱している光景が広がり、さらに、海に近づくと、基礎だけの状態となってしまった真新しい住宅地が広がってきました。
比較的、瓦礫の除去が進んでいたため、一面に広がる住宅の基礎と、遠くに残された松林が印象的でした。
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最後に、運行を再開したばかりの仙台空港に寄り、今回の視察を終えました。

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仙台空港に飾ってあった千羽鶴



最後になりますが、今回の視察に同行させていただき、貴重なお話しをさせていただいた
紺野様、中村様、心よりお礼申し上げます。
研究室一同、今回の視察を糧にし、今後の建築や都市計画に携わって行ければと考えております。


復旧から復興に移りつつある現在も、解決すべき課題はまだ残っているかもしれませんが、
被害に遭われた多くの人々の、少しでも早い、復興を心よりお祈り申し上げます。

修士2年 山田
2011.07.23
こんにちは。修士1年林原です。
報告が送れまして大変申し訳ございませんが、6月27日(月)〜7月4日(月)まで東日本大地震被災地の都市移転・集約に関する調査のため、岩手県と宮城県に行って参りました。


メンバーは奥尻大津波の際に道庁で指揮を執られていた、日本データサービスの紺野さんと、中村さん(北大OB)、瀬戸口教授、修士2年、1年です。
日程は、
6月29日(水)陸前高田市、大船渡市、釜石市視察
6月30日(木)宮古市(田老地区、、宮古市街地)視察、宮古市市役所の方との意見交換会
7月1日(金)岩手県庁の方と意見交換会、奥尻大津波復興計画についての発表
7月2日(土)気仙沼市、石巻市、南三陸町
7月3日(日)仙台市名取地区


今回は修士1年が同行した、7月1日(金)までの内容について報告いたします。

まず、6月29日(水)に紺野さん、中村さん、瀬戸口先生と合流し、津波被災地現場を視察しました。
陸前高田市の市街地の模様です
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陸前高田市は沿岸から約2km圏内に市街地が広がっていましたが、そのすべてが津波でさらわれ、市街地の構造物はほとんど流されてしまっていました。その瓦礫も片付けられたようで、見渡す限り空き地となってしまっていました。
1番目ということもあってか、これらの後景は最も衝撃的で、強く印象に残りました。

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市街地で唯一残った、鉄筋コンクリート造の市役所やNTT、農協の建物も3階部分まで水が入った形跡があり、現在は立ち入ることも困難な状況となっていました。

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その後、高台に仮移転した市役所や仮設住宅、仮設商店街なども視察しましたが、限られた土地に多くの人と仮建築が集まり、大変密集した地帯となっていました。
これらの拠点や住宅街をどこで復興していくか、その土地が残されているのか、ということが大きな課題となりそうです。

続いて大船渡市です。
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陸前高田市のように、面的に一掃された被害ではありませんが、入り江沿いに市街地が形成された大船渡市は、広範囲が津波に覆われ、流されてきた家財や建築の骨組みなどが、残った建築の間に引っかかり、瓦礫と廃墟が入り交じって残っていました。


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瓦礫撤去も進んでいなく、被害の生々しさが伝わってきました。
車は通っているものの、人影はほとんどなく、にぎやかであっただろう街はひっそりとしていました。大船渡市は市役所などの公共施設のほとんどが高台にあったため、機能機関は無事であったようです。


この日の最後は釜石市です。
釜石市も大船渡と同様に、建物と建物の間に瓦礫が引っかかっている状況でした。

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市街地の商店街は一見被害が少なそうでしたが、近づいてみると、店内に水や瓦礫が入り込み、それによる損傷が激しく、片付けどころでは済まない被害を受けていました。

また、この街の基幹産業である、鉄鋼の工場が海沿いに位置しており、それらも大きな被害を受けていましたが、それによって内側の津波被害が軽減されたのではないかと考えられました。
このように、沿岸沿いの産業の被害も相当であることを実感しました。


30日は宮古市へ視察と意見交換会に行きました。
まず田老地区へ
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田老地区といえば、「万里の長城」と呼ばれていた10mの巨大堤防があった地区です。
、海の景色など一切見ることが出来ないほど地区全体に堤防が立ちはだかっていました。

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堤防に登ると地区全体の被害状況が見渡せましたが、巨大堤防があったにも関わらず、二重堤防の間も、内側もすべて一掃されていました。
被害直後の写真を見るとこの堤防内に瓦礫が引っかかり、一面が瓦礫の山だったようですが、片付けられていたようです。
高台側のわずかの住宅や施設だけが無事だったようですが、ほんの少しの高さや距離の違いで被害の重度が大きく違うことが印象的でした。


午後からは宮古市市街地を周り、宮古市役所を訪問させていただきました。
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宮古市役所も沿岸横にあり、1階は浸水被害を受けていました。
復興本部の方々に、貴重なお話を聞かせていただきました。
宮古市は、小さな地区ごとに大きな被害を受けており、そのような地区が14地区もあるようです。現在は住民説明会等を開催しながら、地区ごとの復興の計画を立てておられるようです。


M1が視察した現場は以上ですが、それぞれ地形や街の構造によって大きく被害状況が異なっていたことが、現場に足を運んでよくわかりました。
またメディアで見ていた以上に被害範囲が面的に広がっていることも実感しました。

まだまだ復興の目処はたっていない状況ですが、今後社会に出て働く上で、我々自身も必ず何らかの形でこれらの現場に携わることが予想されます。その時に今回、被災3ヶ月後の被害状況を間近で見たことは、今後の研究や仕事にも反映されてくると思います。
大変貴重な経験でした。同行させていただき、ありがとうございました。

そして、三陸沖には大変美しい海岸風景が広がっていました。目の前に広がる甚大な被害を受けて荒れ果てた陸地と今はもう穏やかで美しい海岸が対称的でより印象的な光景が焼き付いています。

また、リアス式海岸の地形はそれぞれの地域に特徴的な地形と風景をもたらしています。
この地形や自然の力によって今回の被害ももたらされましたが、これまで美しい風景やそれによる生業をもたらしてきたのもまた自然やそれによる地形であります。
今後の復興計画はまだ未定ですが、この三陸の美しい風景とそれによる豊かな生活が再び取り戻されることを切に願っています。

修士1年 林原麻莉
 
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