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北海道大学大学院工学研究科 「都市地域デザイン学研究室」の学生によるブログです。

2024.04.23
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2011.07.23
こんにちは。修士1年林原です。
報告が送れまして大変申し訳ございませんが、6月27日(月)〜7月4日(月)まで東日本大地震被災地の都市移転・集約に関する調査のため、岩手県と宮城県に行って参りました。


メンバーは奥尻大津波の際に道庁で指揮を執られていた、日本データサービスの紺野さんと、中村さん(北大OB)、瀬戸口教授、修士2年、1年です。
日程は、
6月29日(水)陸前高田市、大船渡市、釜石市視察
6月30日(木)宮古市(田老地区、、宮古市街地)視察、宮古市市役所の方との意見交換会
7月1日(金)岩手県庁の方と意見交換会、奥尻大津波復興計画についての発表
7月2日(土)気仙沼市、石巻市、南三陸町
7月3日(日)仙台市名取地区


今回は修士1年が同行した、7月1日(金)までの内容について報告いたします。

まず、6月29日(水)に紺野さん、中村さん、瀬戸口先生と合流し、津波被災地現場を視察しました。
陸前高田市の市街地の模様です
CIMG1780.JPGCIMG1640.JPG







陸前高田市は沿岸から約2km圏内に市街地が広がっていましたが、そのすべてが津波でさらわれ、市街地の構造物はほとんど流されてしまっていました。その瓦礫も片付けられたようで、見渡す限り空き地となってしまっていました。
1番目ということもあってか、これらの後景は最も衝撃的で、強く印象に残りました。

CIMG1694.JPGCIMG1681.JPG


市街地で唯一残った、鉄筋コンクリート造の市役所やNTT、農協の建物も3階部分まで水が入った形跡があり、現在は立ち入ることも困難な状況となっていました。

CIMG1744.JPGCIMG1751.JPG

その後、高台に仮移転した市役所や仮設住宅、仮設商店街なども視察しましたが、限られた土地に多くの人と仮建築が集まり、大変密集した地帯となっていました。
これらの拠点や住宅街をどこで復興していくか、その土地が残されているのか、ということが大きな課題となりそうです。

続いて大船渡市です。
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陸前高田市のように、面的に一掃された被害ではありませんが、入り江沿いに市街地が形成された大船渡市は、広範囲が津波に覆われ、流されてきた家財や建築の骨組みなどが、残った建築の間に引っかかり、瓦礫と廃墟が入り交じって残っていました。


CIMG1833.JPGCIMG1843.JPG
瓦礫撤去も進んでいなく、被害の生々しさが伝わってきました。
車は通っているものの、人影はほとんどなく、にぎやかであっただろう街はひっそりとしていました。大船渡市は市役所などの公共施設のほとんどが高台にあったため、機能機関は無事であったようです。


この日の最後は釜石市です。
釜石市も大船渡と同様に、建物と建物の間に瓦礫が引っかかっている状況でした。

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市街地の商店街は一見被害が少なそうでしたが、近づいてみると、店内に水や瓦礫が入り込み、それによる損傷が激しく、片付けどころでは済まない被害を受けていました。

また、この街の基幹産業である、鉄鋼の工場が海沿いに位置しており、それらも大きな被害を受けていましたが、それによって内側の津波被害が軽減されたのではないかと考えられました。
このように、沿岸沿いの産業の被害も相当であることを実感しました。


30日は宮古市へ視察と意見交換会に行きました。
まず田老地区へ
CIMG1972.JPGCIMG1959.JPGCIMG1971.JPG
 
田老地区といえば、「万里の長城」と呼ばれていた10mの巨大堤防があった地区です。
、海の景色など一切見ることが出来ないほど地区全体に堤防が立ちはだかっていました。

CIMG1960.JPGCIMG1981.JPG

堤防に登ると地区全体の被害状況が見渡せましたが、巨大堤防があったにも関わらず、二重堤防の間も、内側もすべて一掃されていました。
被害直後の写真を見るとこの堤防内に瓦礫が引っかかり、一面が瓦礫の山だったようですが、片付けられていたようです。
高台側のわずかの住宅や施設だけが無事だったようですが、ほんの少しの高さや距離の違いで被害の重度が大きく違うことが印象的でした。


午後からは宮古市市街地を周り、宮古市役所を訪問させていただきました。
CIMG2070.JPG
宮古市役所も沿岸横にあり、1階は浸水被害を受けていました。
復興本部の方々に、貴重なお話を聞かせていただきました。
宮古市は、小さな地区ごとに大きな被害を受けており、そのような地区が14地区もあるようです。現在は住民説明会等を開催しながら、地区ごとの復興の計画を立てておられるようです。


M1が視察した現場は以上ですが、それぞれ地形や街の構造によって大きく被害状況が異なっていたことが、現場に足を運んでよくわかりました。
またメディアで見ていた以上に被害範囲が面的に広がっていることも実感しました。

まだまだ復興の目処はたっていない状況ですが、今後社会に出て働く上で、我々自身も必ず何らかの形でこれらの現場に携わることが予想されます。その時に今回、被災3ヶ月後の被害状況を間近で見たことは、今後の研究や仕事にも反映されてくると思います。
大変貴重な経験でした。同行させていただき、ありがとうございました。

そして、三陸沖には大変美しい海岸風景が広がっていました。目の前に広がる甚大な被害を受けて荒れ果てた陸地と今はもう穏やかで美しい海岸が対称的でより印象的な光景が焼き付いています。

また、リアス式海岸の地形はそれぞれの地域に特徴的な地形と風景をもたらしています。
この地形や自然の力によって今回の被害ももたらされましたが、これまで美しい風景やそれによる生業をもたらしてきたのもまた自然やそれによる地形であります。
今後の復興計画はまだ未定ですが、この三陸の美しい風景とそれによる豊かな生活が再び取り戻されることを切に願っています。

修士1年 林原麻莉
 
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